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アフガニスタンの人々

アフガン人
 アフガニスタンというのは、もともとはペルシャ系の人たちがパシュトゥーン人をアフガーンと呼んでいた事から「アフガーン(パシュトゥーン)の住むところ」と云う意味でアフガニスターンと呼ばれていましたが、現在ではそこで暮らすいろいろな民族タジク、パシュトゥーン、ハザラ、ウズベク、トルクマン、バルーチ、アラブといった人達の集合体が「アフガン人」であるといえましょう。これらの人々は元来固有の生活区域を中心とした国、ウズベキスタンやトルクメニスタンがあるにもかかわらず、どうしてこのアフガニスタンのような複合国家が出来上がったのでしょうか?
 「東(インド/イギリス)西(ペルシャ)北(帝政ロシア/ソビエト連邦)の列強国の中間地点だったからと言うほかありません。19世紀初頭からの列強の拡大政策のバランスがたまたまアフガニスタンという国を存在せしめる結果となったと言えましょう。(地図でアフガニスタンを見ると右を向いている太った七面鳥のような不思議な格好をしているのもそのせいです。)遊牧を生業としている人達にとって行政上の国境は無意味に等しく当然国家という概念は希薄でした。いつの間にか周りに国境線を引かれた結果が今のアフガニスタンの形です。しばらくは自由に行き来をしていたのですが周りが中央政権国家として国境を厳しく主張するようになるとしだいに特定の地域に定住を強いられるようになってしまいました。

 現代では地域での人口構成比はありますが概ねどの街へ行っても多くの民族が共存しています。彼らの共通点はムスリマーンであることと自分達がアフガーンであるという気持ちが多民族国家を成立させていた大きな要素でしょう。しかし悲しい事になにかあると民族間の争いは果てる事無く繰り広げられてしまうというのも現実です。デュラニパシュトゥーンという部族が中心であったタリバーン政権下の内戦時には他民族に対するタリバーン軍の虐殺行為も報道され世界から大避難を浴びました。

タジク:
 もともとはぺルシャ(現イラン)に住んでいたぺルシャ系の人々ですが中央アジアに移動、定住後長い年月の間にしだいにトルコ化してゆきました。定住文化があまり発達していなかった地方に農耕や商業と云った生活様式をもたらしたと言われています。いにしえより商人として活躍し、中国の歴史書にも「大食」の名でしばしば登場します。アフガニスタンの人口の約四分の一を占める主要民族でタジク訛のダリ−語が生活言語です。現在は主に北東地域に居住し西部地域の都会にも多くのタジク人が暮らしています。

ハザラ:
 主にアフガニスタン中央高原ハザラジャートに居住しておりハザラ訛のダリ−語ハザラギーが生活言語です。その名であるハザラはダリ−語で千を意味し、13世紀にこの地に攻め入ったクビライハーンの軍隊である千人隊の末裔であると言う伝説がありますが定かではありません。アフガニスタンでは少数派にあたるシーア派イスラム教徒(12イマーム派)で西の隣国イランとは密接な関係にあります。もともとは今の居住地よりも低地に住んでいたのですが1891年にスンニ派パシュトゥーン人の王国に対し反乱を起こし徹底的に弾圧されその結果今のハザラジャートに押しやられる形で居住するようになりました。その後もパシュトゥーン人による抑圧はつづきタリバン政権下において多くの人が手足を切られたり虐殺されたりしました。
 付け加えると世界最大の石仏で有名なバーミヤンは彼らの住む地域の中心に位置します。

ウズベク:
 中央アジアに発するトルコ系の民族。民族の大部分は北方のウズベキスタンに居住していますが1920年代に進められたソビエト連邦のボハラ汗国の併合から難民となってアフガニスタンの国境を越えてきた人達と、もともと国境周辺に暮らしていた人達です。ヒンドゥークシュ山脈北部に多くが居住し、アフガン内部のトルコ系民族としては最も多い民族です。生活言語はウズベキ語です。

トルクマン:
 ウズベク同様中央アジアに源を発するトルコ系民族。アフガニスタン内では北部のアクチャ、アントホイ周辺に数多く居住しています。トルクマンの中にも更に細かい部族に分かれますが。アフガン内ではエルサリ族が多くほかにヘラート周辺に少数テッケ族,ヨムート族などが居住しています。隣のトルクメニスタン共和国はトルクメンの国ですが旧ソビエト連邦に併合される事を嫌ってアフガンに逃れてきた人達が多くいます。悲劇的な話に1920年代難民となってアフガンへ逃れたその60年後、再びソ連の侵攻によりイラン、パキスタンへと逃げざるを得なかったお年寄りもいました。彼らは非常に勤勉で穏やかな事で知られています。生活言語はトルクマン語です。

パシュトゥーン:
 アフガニスタン南部および東部地域に居住しています。隣国パキスタンには北西辺境州とバルーチ州にパシュトゥーンの半分以上が暮らしています。元々遊牧を生業としてきた人々ですがしだいに半農半牧の生活や都市生活者と生活形態が変わってきました。彼らの住む地域にア/パ国境(デゥランドライン)が横たわり二国間に分断されているのですが実際には遊牧生活の中で割と自由に行き来しているのが現状です。
 パシュトゥーン民族は行動規範として「パシュトゥーンワレイ」と云う誇り、部族・家族の名誉を守るためにいかに行動するか、それが出来なかったときどうなるかというような掟をもって部族単位で強い絆をもち暮らしています。生活言語はパシュトー語です。

チャールアイマク:
 4つの遊牧民と言う意味ですが、この「アイマク」と云う単語はモンゴルでも三つの村の集合体を指す言葉として使われておりクビライハーンがアフガニスタンに攻め入った時の名残りだという説もあります。
 タイマニ族、フィローズコヒ族、ジャムシーディー族、カライナウハザラ族の4つが主要をなしています。生活言語はダリ−語です。

バルーチ:
 アフガニスタン南部からパキスタン南部にかけて暮らす遊牧民族です。
 どこからやって来たかは判然せず、大昔からそこで遊牧を営んで来たという説もあれば東から移動して来たという説もあります。遊牧のみで生計を立てる事が難しくなってきたこともあり、移牧で生活を立てている人達が多くなりました。生活言語は主にバルーチ語ですが広範囲にわたり居住しているため部族により若干の差があるそうです。

その他の民族:
 他にも沢山の民族がアフガニスタンに暮らしています。
 アフガンニスタン東部に住むヌーリスタン人ですがこれはヌーリスタン地方に住む人というような意味で、元々異教徒を意味するカフィールの地と言われていましたがイスラム教を受け入れた後ヌーリスタンと呼ばれるようになりました。山の斜面にへばりつくように立てられた木造の家屋に住み柱や扉には独特の彫刻が施されていて、彼らの作る木の家具も特徴的ながらが彫られています。
 幾つかの少数民族がそれぞれ独自の言葉を話しています。
 その他ワハーン回廊に住むキルギス族やパミール族、都市部に住むキジルバシュ人、バルーチ地方に住むドラビタ系のブラウィー族など多岐にわたる民族が住む国がアフガニスタンです。