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アフガニスタンの絨毯2

アフガニスタンの絨毯とキリム
 
一般に日本では手織り絨毯というと、まず思い浮かぶのはイランのペルシャ絨毯という人が多いと思います。他には中国段通とかパキスタン絨毯かトルコ絨毯くらいじゃないでしょうか?
 絨毯を織る国はインド、モロッコ、コーカサス地方の国々など他にもたくさんあるのですが、なかでもアフガニスタンの絨毯を日本で目にする機会は非常に少ないと思います。ましてや触る機会などはほとんど無いんじゃないでしょうか。

 アフガニスタンはシルクロードの要衝で文明の十字路などと呼ばれ、幾多の侵攻、あまたの人々の流入の結果、複雑な多民族国家となり文化的にも複雑に混ざり合っています。絨毯に関しては国内に暮らす各民族・部族・氏族、各地域ごとにそれぞれ特徴をもっています。
 アフガンの絨毯やキリムの特徴は一部を除いて厚みのあるしっかりとした物が多く、柄はいわゆるペルシャ絨毯柄のような細かいものは非常に少なく、色目は比較的地味な色合いで統一されていて、何色も使用したものは多くはありません。

絨毯・キリムの柄
 
絨毯・キリムの柄は民族・部族・氏族ごとにそれぞれ特徴があり、それぞれの絨毯の呼び名も生産地や集積地、あるいは民族・部族の名で呼びます。ペルシャ絨毯でもタブリーズ、クムなどの生産地の名で呼んだり、カシュカイなどの部族名で呼んだりしています。
 絨毯のそれぞれの特徴が解れば、産地やどの部族の絨毯かだいたい解る訳ですが、その特徴というのは、中心となる柄であったりキリムエンドの始末のやり方であったり、ウールの質や織り具合など色んな箇所にあります。
 現地の絨毯商たちは仲間同士で誰かの店に集まって、お茶を飲みながらのんびり過ごすのですが、そんな時は一枚の絨毯をひろげて撫でたりめくったりしながら、どこの産地でどれくらい古いのかなど当て合って話し込んでいます。そばにいる店員や子供たちも一緒になって撫でながら話を聞いて絨毯の事を学んでいます。
 
 自分で撮った写真ばかりであまり写りのよくない物もありますが(随時写真は増やしていきます。)写真を参考にそれぞれの柄の特徴を民族ごとにみていきます。

ハザラ:
 
石仏で有名なバーミアンのある、アフガニスタン中央部のハザラジャートと呼ばれる山岳地帯を中心に住むハザラの人達は、キリムを織ることがほとんとのようです。彼らの飼育する羊はとても柔らかい上質の毛をもっています。その毛で織られるハザラの敷物はとても触り心地のよい物ですが、だいたいが自家用として使用されます。
 商業用として織られるキリムの多くは、夏になると彼らの土地にやって来る遊牧民から手に入れた少し硬めのウールを使うので、彼らの飼育する羊の毛で織られた物よりも、触った感じ幾分硬い感じがします。
自家用に織られたものは毛を染める事はあまりせずに羊毛そのままの色(白・黒・茶)を中心としたシンプルなストライプ柄が一般的で、オレンジや紫に染めたウールで単純な模様をアクセントとして織り込んだ物が多いようです。


 
 
商業用として織られるようになったキリムはサリプールという町に集められるのでサリプリー(サリプールの物と云った意味)とよばれています。
 通常2枚対で織られ、白、黒、茶の地毛の色と、好んで使われるオレンジ、紫、赤色のウールを使い、左から2番目の写真のようなもみの木のようなギザギザの三角模様のつながりで、大きいダイヤモンド柄を織った物が特に有名です。右から2番目の写真のキリムもそうですが。ギザギザ模様がサリプリーの特徴です。
 また、右端の写真のように黒地に白の小さなダイヤモンド柄を連ねたボーダー(キリム、絨毯のふちの柄)も特徴の一つです。
 ほとんどのハザラの人達はイスラム教シーア派に属していますが、一部ヘラート近くのカライナウ近郊に住むハザラ人はスンニ派イスラム教徒で、彼らの織る物はサリプーリーとは違う特徴を持っていますので後で紹介します。

ウズベク:
 
ウズベクの人たちは様々なタイプの絨毯・キリムを織ります。
 ウズベクのキリムは30㎝位の幅の帯を、作りたいサイズにあわせて何本か縫い合わせて作る。ガジャリーと呼ばれる物があります。(もともとはアラブ族の織物なのですが、そのアラブ族が今ではウズベクと同化して自分達をウズベクと呼んでいるとのことなので、彼らの織物もウズベクの物として紹介します。)

 
 平織り以外の織り方ではスマック織り(縦糸に横糸を巻き付けながら1段づつ柄を織り進め一段終わると細い糸をつづら折り状に通して留めながら織るやり方。)の敷物や小物がよく織られます。




 アフガン北西部にあるマイマナという集積地に集められる物で、マイマナギーと呼ばれる上の写真のようなキリムはウールの質により出来上がりにかなりばらつきがありますが、しっかり織られた物が多く一般的に8㎡以上の大きいものが多く、またマイマナにはウズベク人の作るホルジン(ロバの背に乗せると両側に袋が振り分けられるように作られたもの。)がたくさんあつまります。

 次にウズベクの絨毯ですが、たいていは柔らかめに織られるためキリム程はしっかりした感じはありません。ジョルホルスと呼ばれる変わったタイプのパイル織として、ガジャリーのように30㎝程の幅でつづら折りの3m前後の帯を3〜4本つないで一枚の敷物を作り表面の縦糸にパイル状に糸を絡めて柄を描いていくもの(左の写真の床に敷いてある絨毯)があり、表面は毛深くてごわごわのタオルのような感じで裏はパイルの結び目は見えないように織られています。このタイプの織物が初期型の絨毯だという人もいます。


 上の写真はウズベクのテント用のバックでマフラージと呼びますが、ウズベクの絨毯も写真のような色使いで写真の柄もウズベクの典型的な柄です。

バルーチ:
 
バルーチの絨毯はバルーチ族のみによって織られたものだけでなく、アフガン西部のヘラートの北から、南のシスターン砂漠に至るバルーチスターンでバルーチ族の影響を受けた多くの民族によって織られた絨毯をも含めてバルーチ絨毯と呼びますので、各部族ごとに違いを見ていきたいと思います。
 アフガンのバルーチ絨毯の特徴としては、経糸・緯糸ともに綿糸を使うイランバル−チの絨毯と違い、基本的にすべてウールを使います。ヘラート南部ではバルーチ、ギルザイの羊毛を使いヘラート北部ではカラクルの羊毛を使います。これらの羊毛は柔らかく光沢があります。バルーチ絨毯の織り目はトルクマン絨毯よりも大きめなので全体としてソフトな触り心地に織り上がっています。色合いは全体的に少し地味めで、落ち着いた感があります。ウールの紡ぎ、染色、織り機、織り方はトルクマンと同じです。



 まずバルーチのキリムは上の写真(それぞれ産地は違いますが)のようにほとんどがストライプ柄です。特にバルーチ地方では紋織りをよく使います。右端の写真のシスターンバルーチのキリムは細かい柄のほとんどを紋織りで描かれていて、全体にどっしりと重みのあるものが多いです。

 右側の写真は伝統的なダイヤモンド柄で濃いめの紫色を使い、写真では解りにくいかと思いますが、白枠内の四隅に花の柄を配したザンジーリーと呼ばれる絨毯です。左側の写真はシスターンバルーチの絨毯で、バルーチの絨毯は概してこの様に地味な色合いで、染料の酸化が早いために、結果として光沢のある美しい色合いに落ち着いていくようです。


 次にバルーチ族以外の部族の織るものは主にバルーチ地方の北部に住む部族により織られます。主としてチャールアイマック(4つの遊牧民という意味)という半遊牧民でペルシャ系の言葉を話すタイマニ族、フィローズコヒ族、ジャムシーディー族、カライナウ・ハザラ族の4部族に依って織られます。

 タイマニ族はハリルード川の南、ヘラートの南東の山間部に住む民族で、彼らの織る絨毯は質、デザイン共に様々ありますが特に礼拝用のものが多く織られます。


 
一番目は礼拝用のキリムですが刺繍で柄の部分が描かれています。最後の写真はタイマニ族がボーダーの柄としてよく使う星のモチーフです。
 
 次に「トルコ石の山」という意味のフィローズコヒ族はタイマニの北部でユルトに似たチャパリーというテントで暮らす半遊牧の民族ですが、彼らは独自の柄をもたないので他部族の柄をコピーします。紫、オレンジ色を好んで使い、主にトルバという袋やナマックダン(塩袋)などの小物を多く作ります。この部族の特徴として、しばしば織られるキリムは薄く柔らかな平織りの下地に刺繍で柄を描くもので、その柔らかさから食卓布(ダスタルハーン)として使われます。
 
 ジャムシーディー族というのはいまだ出自がはっきりしていないようですが、ヘラート市内やその周辺に住み、長年にわたりトルクマン族との接触によりトルクマンの柄をコピーしたものが多く、特にテケトルクマンのマウリ柄やザヒルシャー柄のコピーが多いようです。模様は似ているものの、柄の配置のバランスや色の使い方、そして何よりトルクマンのものよりもかなり緩めに織られているので区別は簡単に解ります。

 
 またこのジャムシーディー族の流れをくむであろうといわれているカウダニ族の織る礼拝用の絨毯の「生命樹」の柄は有名で、その柄の絨毯そのものをカウダニと呼びます。この絨毯の質は非常に良い事でも知られています。




 最後のチャールアイマックはカライナウ・ハザラ族で、先にハザラのキリムを紹介しましたが、ハザラジャートに住むシーア派のハザラとは異なり、こちらのハザラ族はスンニ派のムスリムで18世紀半ばにナディルシャーにより強制移住させられて、カライナウ周辺に住むようになりました。



 カライナウの特徴は上の写真のように、二枚の幅広の帯状に織ったものを真ん中で繋ぎ合わせて作る事です。カライナウの絨毯やキリムがすべてこの様に作られる訳ではないのですが一枚ものは他部族との違いを見つけるのはなかなか難しです。

 バルーチ族以外の部族絨毯はまだ沢山あるのですが幾つか写真でご覧ください。

クチ(パッシュトゥーン)   ムシュワニ      マルダリー

 マルダリー      マルダリー        マルダリー

トルクマン:
 
バルーチ絨毯共々アフガン絨毯の代名詞ともいえるのがトルクマンの絨毯ですが、元来彼らは牧草を求めて中央アジアのステップ地帯を移動する遊牧民でした。ラクダの背中に家財道具を詰め込んだ羊毛で織ったバッグや(Y)uiとよばれるテントを乗せて、沢山の羊を引き連れ移動していました。彼らのテントはモンゴルのパオとよく似たものですが、屋根の骨組みに真っ直ぐな棒を使うモンゴルのパオとは異なり、蛇腹状の壁の骨組みから少し立ち上がり、中央の天蓋に延びるようにへの字に曲がった棒が使われるのでモンゴルのパオように柱で天蓋を支える事無く安定するようになっています。
 遊牧の生活の中でタンスや収納箱の代わりに、種々の大きさの袋を織り、テントやラクダの飾り、パルダと呼ばれる入り口や間仕切りとしてぶら下げる絨毯などを家畜の毛で織ります。
 彼らの織る絨毯の柄は各部族・各氏族等によって、日本の家紋のように代々伝えられます。また他部族、氏族との結婚でそれぞれの模様が組み合わされたり、少しずつ形を変えたりしていきました。
 国境の無かった時代には牧草を求め中央アジアを自由に行き来していたトルクマンですが、今のアフガンの地域に住むようになったのはそんなに昔の事ではないようです。少数の人達は200年くらい前から住み始めていたようですが、大部分はロシア革命以降1920年代になってボルシェビキの抑圧から逃れて来た人達です。彼らの移住が元となりアフガニスタンでの絨毯産業が始まりました。元々絨毯を織らなかった他民族も彼らに習って織るようになったのです。
 アフガニスタンのトルクマンは大部分がエルサリ族で、大きく分けて4つの氏族があり、それがまた50以上に分かれていてそのほとんどが絨毯を織ります。そのためアフガントルクマンの絨毯の多くがエルサリの絨毯で、その他12世紀にアフガンを支配したセルジュークトルコの末裔といわれるサルトゥーク族、質の良い絨毯を織るヘラート周辺に移住したテケ族、ヨムート族、サローク族がアフガンに居住して絨毯を織っているトルクマン族です。エルサリ系の絨毯は織り目はそんなに詰まっていませんが、厚みがあってどっしりした感じの絨毯で、一方テケ族やヨムート族、サロ−ク族の絨毯はエルサリ系の絨毯と比べると非常に細かく、織り目がよく詰まっていて厚みもいわゆるぺルシャ絨毯のように薄い感じに織りあがっています。

 トルクマンの織る絨毯は礼拝用とパルダなどをのぞいて、絨毯の縁をボーダーという帯状の模様群で囲みその中に具象化した花柄(グル)が縦横に並べられた物がほとんどで、ぺルシャ絨毯のような細かい柄はあまり織られません。そのなかで最も特徴的な柄はフィルポイ(象の足)・グルと呼ばれる八角形の花柄を織り込んだ物で、赤と紺色だけのフィルポイとその2色に白色を加えた「カーレ・サフィード」と呼ばれるフィルポイに分けられます。
 そのフィルポイにもそれぞれの部族で特徴があり、またその基本的な八角形の周りに帯を付けたり角を付けたりして自分の部族の特徴を表したりします。その他絨毯の産地を知るためにはグルアーラといわれる二次的な花柄のモチーフやボーダーの柄、キリムエンドの始末の仕方などいくつかのポイントがあります。

 
 まずフィルポイ柄ですが、八角形とはいっても色んな形がありその中の柄も様々です。


オールドタガン    ダリ    スレイマン・マザール スレイマン   
  
オールドスレイマン   松の木柄     櫛柄      タンポポ柄    
      
エイトフラワー柄  ピラミッド柄      

  
まず最初の写真のタガン族の特徴は、4つに分けられた花弁に一本ずつ風車の羽のように花心が延びているシンプルなグル(花柄)が古い伝統的な柄です。今ではもう少し複雑な柄がよく織られ、この古い柄はラビジャーに住むタガン族以外ではあまり織られないようです。他にしばしば使われるモチーフは“エイトフラワー”と呼ばれる柄です。
 
 となりの写真はダリ族のフィルポイですが、これは彼らが絨毯の上下両端に頻繁に使う“櫛の柄”を花弁の中に織った物で珍しいフィルポイです。普通はカザン族やクンドゥース地方のスレイマン族のような、小さい菱形を連ねた帯模様でグルを囲ったフィルポイ柄を使いますが、フィルポイの中に“松の木”とか“クリスマスツリー”とか呼ばれる模様をフィルポイの少なくとも2枚の花弁の中にいれるのが特徴です。

 その次の三枚はどれもスレイマン族のフィルポイですが、スレイマン・マザールというのはマザーリシャリーフ近辺に住むスレイマン族のフィルポイ柄でカザン、ダリ族の物とよく似た、周りに帯状の模様のついたフィルポイです。その中にはダリ族のよく使う“松の木柄”を使うことが非常に多いです。
 次の柄はアントホイ近郊のスレイマン族の物で、マザールの物とは色めも少し違い、周りに帯状の模様も“松の木柄”もほとんど使いません、また
ボーダーには大きいタンポポの柄をよく使います。他にアクチャ周辺のスレイマン族の絨毯は柄はアントホイのものと似てますが色の使い方が違うので少し柄にメリハリが欠けるようです。
 アクチャとアントホイ周辺のスレイマン族は“ピラミッド柄”と呼ばれるモチーフもよく使います。
 ニ段目最初の写真はスレイマン族の古い柄でフィルポイの周りに三角の角がぐるりと生えたようになっていてグルの中が8枚の花弁に分かれています。これらのスレイマン族のフィルポイは他の氏族によってよくコピーされます。


カザン     チャケッシュ    サルトゥーク アーランジ・グル            

クンドゥース・サロ−ク    ランニング・ドッグ  

 サロ−ク(サロキ)・グル サロキ・グルアーラ

 
カザン族のよく使うフィルポイはダリ族やマザーリ地方のスレイマン族のようにふちに帯状の模様があります。またカザン族はこのフィルポイと一緒に“エイトフラワー”というモチーフを使います。このカザン族のフィルポイとエイトフラワーの組み合わせは多くの氏族により頻繁にコピーされています。

 次にチャケッシュ族のフィルポイですが写真はグルの中心に“ダイヤモンド柄”が使われたチャケッシュ族の伝統的なフィルポイです。アクチャ近郊では他の氏族もよくコピーしますが、チャケッシュのオリジナルの物は織りも打ち込みもコピー物よりもしっかりしています。
 アントホイ近郊のチャケッシュ族は今ではこの伝統的フィルポイ柄をあまり使わなくなりましたが、この柄の古い物はオレンジ系の赤に染められた糸を使っていたのでアクチャの物とは感じが少し違いますしボーダーには紺か黒のタンポポ柄を使います。
 
 
 
三枚目のサルトゥーク族はエルサリ系ではないのですが色んなタイプのフィルポイやモチーフを使い、柄の組み合わせがエルサリ系の絨毯には見られないもので、サルトゥーク族の解りやすい特徴はボーダーに白い“ランニングドッグ”の柄を使う事が多い点です。
 
 
次のアーランジグルはアーランジ族の特徴的なグルですがフィルポイ状の八角形の周りに三角帽に角を付けたような模様を並べた花柄です。
 
 次のサロ−ク族のサロールグル(たいていは"サロールの"という意味でサロキと呼びます)とよく似ていますが織りの質が全然違うのと、サロキの方が少し平たくなっているところでしょうか。サロキの方が色使いに関しても細かいのでメリハリがはっきりしています。またトルクメンはメインではない補助的なグルをグルアーラ(メインのグルとグルの間のグルという意味)と呼びますが、サロールのグルアーラも細かい柄の物を織ります。このサロキのグルもグルアーラもよくコピーされます。2段目の最初の写真はクンドゥース周辺のサロール族以外の手で織られたサロキ柄です。
 


  チョバッシュ Hデザイン(チョバシュ) アルティボラック  


アハール・グル アハール・グル
    テケ・グルアーラ 

テケ・グルアーラ    テケ・ボーダー                                  

 次にグルの中の4つの花弁のうち二つの地の色が白いカーレ・サフィード(白い仕事の意)といわれる模様を使うグループですが、大きいフィルポイの中に白を使ったものと、ボハラ柄と呼ばれる白を使った小さいフィルポイを縦横にずらりと並べたものがあります。
 最初の写真のチョバッシュ族は伝統柄を織る事がほとんどで、フィルポイの中の二つの花弁に白を使います。2番目の写真はチョバッシュ族の独自のフィルポイでグルの中にH型で二つ頭のある動物のモチーフが入っています。写真ではこのモチーフは赤い糸で織られていますが一般的には白い糸で織られます。ボーダーにも白を使った模様を織るので解りやすい絨毯です。

 次のアルティボラックはエルサリ系のカラ族が住む村の名で、彼らの織る絨毯の柄にもこの村名が付けられています。その柄はボハラ・デザインでテケ族のグルやグルアーラとよく似た柄を使っていますが、テケ族の物とは織りの技術も違いますし似て非なる物です。
 アルティボラック柄はボーダーの真ん中に大きめのタンポポのモチーフが並んだ帯が使われます。このタイプの柄は他にアクチャ近くのジャンガル・アレク村の名を冠した絨毯柄がそうです。アルティボラックに比べるとジャンガル・アレク絨毯は質が少々落ちるので間違える事は無いでしょう。
 
 次にアハールグルです。ここには2タイプの写真を載せましたが八角形に手を加えた細かいグルです。元々テケ族により織られていましたが、各地でよくコピーされます。テケ族の物は織りが細かく、パイルの打ち込みも他の部族よりもしっかりしています。グルアーラも他のフィルポイ絨毯の物と違い細かい模様が使われます。ボーダーも細かく幅が広いのが特徴です。縦糸にシルクを使った物も多く織られています。またテケ族の織る白を使った小さいグルが縦横にずらっと並んだ絨毯は一般的にマウリと呼ばれます。
 この他フィルポイを使った絨毯で特徴的なのはペルック(ファルーク)族の名のついたフィルポイの柄で、フィルポイの中の花心の先は三つの円になっていますが、ペルックの物は円ではなくドングリのような楕円が三つ付いています。

 次に八角形のグル以外のグルを紹介します。


ババサッカル    バルゲチナール   アルマグル

アルマグル(バシリ) バシリボーダー


 ババサッカル(密度の濃い顎髭という意味)族は各地に散在して暮らしていますが写真のグルは伝統的な柄で今ではアントホイとアクチャ周辺に住むババサッカル族が主に織っています。写真は赤色がメインに使われていますがたいていの場合は赤、オレンジ、黄色、青、紺など多くの色を使って織られます。
 
 次のバルゲチナール(ポプラの葉)・グルと普通バシリと呼ばれるアルマグル(林檎の花)の柄はクンドゥースやマザーリシェルフ周辺に住む多くのトルクメンが好んで織る柄です。バシリの方はジョワールという大きなバッグにもよく使われます。


 チャールチャンギー       キズィラヤク

 この写真じゃ少し解りにくいかもしれませんがチャールチャンギー族の伝統的な柄で今ではアントホイ近郊のチャールチャンギー族が少し織っているだけです。

 
次の絵ですがエルサリ系のキズィラヤク族の代表的ながらですがこれは数が少なく、今ではマーケットではほとんど見かけません。横のボーダーの柄もキズィラヤクの代表的なボーダー柄です。また、このキズィラヤク族も他の氏族のように流行にあわせて他の柄のコピーをよくします。


ディルナック・グル     ケプスィー・グル     

ケプスィー・グル(コピー)   アイナ・グル 
      
 
上の一枚目の写真と二枚目の絵は両方ともヨムート族の代表的な柄ですが大部分はトルクメンで織られアフガンのヨムート族はあまりこの柄を織りません。二段目最初の写真は最近織られたケプスィーグルのコピーです。
 次のアイナ(鏡)・グルもヨムート特有の柄でボーダーで囲まれたフィールドの中に縦横にぎっしりこのグル
が並んでいます。ヨムート族はほとんどがヘラートに住み、これらの柄の他テケやサルーク族の柄もコピーして絨毯を織っています。


 
 最後にトルクマンのキリムですがバルーチのようにトルクマンはあまりキリムは織らないようです。最初の写真はパネル状になった柄が特徴的なラビジャーのキリムで、ロシア革命を逃れてトルクマン人がアフガンに来た当時は織っていましたが、今ではほとんど織られていません。後の三枚は色柄共にトルクメンの特徴を持ったキリムで、模様はトルクメン絨毯のキリムエンドでよく見かける柄が使われています。最後の写真は敷物ではありませんが、このように赤い地で白と紺か黒い糸で刺繍されたようになったトルクメン・サハラと呼ばれるキリムはよく見かけますが、これはほとんどがイランで織られます。またトルクメンのキリムは大きいサイズの物が大部分をしめています。

遊牧生活の日用品と嫁入り道具:
 もともと遊牧生活をおくっていたトルクメンの人達やバルーチの遊牧民はその生活の中で使用する様々な物、テントやラクダなどの装飾品を毛織物で作ります。トルクメンの女の子のいる家族ではその娘がある程度の年になると家族の女性達はその娘の嫁入り道具(或は結納品)として絨毯、各種袋、家畜の装飾品などを織り始めていたそうです。それらの品はラクダなどに飾られ嫁入り道中でお披露目されるそうです。次に幾つかを紹介します。

ジョワール:

 ジョワールというのはトルクメンのテント生活で使われる一番大きい袋で約1.5㎡程の大きさで袋の裏側はキリムになっています。移動のときは大きい物を入れて運びますがテント内では壁にぶら下げてタンス代わりに使ったり、普通に敷いて使ったり、中に羊の毛や布切れを入れて大きな座布団のようにして使ったりします。ほとんどの場合2枚対で織られます。三枚目のジョワールはパイルではなく刺繍状に織られたキリムです。
 ジョワールには特有のジョワール柄と呼ばれるグルがあります。一枚目と二枚目の写真のグルがそうですが、他にはアルマ・グルもしばしば織られます。バルーチではほとんど織られないようです。

ジャラール:

 このジャラールもバルーチでは織られないようですがウズベク人により織られる事はあります。これはテントの壁にかけて使う横長の袋ですが下辺には写真のようにウールの糸がのれんのように付けられます。
一枚目の写真は横幅が長くありませんが、この柄はバスタニ柄とよばれるものでジャラールにはしばしば使われる柄です。
ニ枚目の写真のジャラールの柄はザヒール王が好んだ事からザヒルシャー柄と呼ばれています。

ジャラール・パイダール:

 これは足のあるジャラールというような意味で、ジャラールの両端が足をつけたように延びていて下辺はやはりウールのひもが垂れ下がっていて、その紐はジャラールよりは装飾的になっていてテントの入り口にぶら下げて使うトルクメンの暖簾ですね。



ボレシュト:



 
これはクッションや枕として使う中くらいの袋です。どちらかというとトルクメンよりもバルーチの人達の方が多く作るようです。上段の写真はバルーチの物で下段はペアーで織られたトルクメンのボレシュトです。表はパイル状で裏はキリムになっています。


トルバ:

 これはボレシュトより小柄で色んなザイズや形ががあります。だいたいはキリムの物です。最初の写真は紋織りで織られたバルーチのトルバで、二枚目の物はタータリ族の物です。後の2枚は下辺にウールの飾りが付いた物で最初のがバルーチ、後のがトルクメンの物です。

ホルジン:

 これはドンキーバッグとも呼ばれ馬やロバの背の両側に振り分けられるように、同じ模様の二つの袋を両側に作った物で表がパイル状の物とキリム状のもの2タイプあります。

ナマックダン(ダニ):

 水と同様に遊牧民にとっても、羊やラクダなどにとっても大切な塩を入れるための袋で、向こうでは岩塩を入れる事が普通です。この凸型はバルーチでは普通ですがトルクメンは小さめのトルバが塩入れとして使われます。



 テントベルト:

 トルクメンやウズベクなどのユルトは釘とかは使わず蛇腹の壁を固定するのも、天蓋の梁を一本一本留めるのもウールで織った帯を使います。壁を繋ぎ合わせたり梁を留めるのは細めの帯を使い壁の周りを巻いたりするのは幅広の帯を使います。

パルダ:

 カーテンという意味のこのパルダ柄の絨毯は、もともとエルサリ系の遊牧民がユルトの入り口にぶら下げてドアとして使っていて、下辺はフリンジをそのまま残し上辺はフリンジを隠し両端にウールの紐を付けてユルトの入り口の枠に結べるようにしてありました。このパルダの柄は二つの四角いパネルが上下に二つはめ込まれた柄で、小さい窓が二つあるような感じになっています。パネルの中には写真のようなロウソク立てなどと呼ばれるモチーフが入っていて、パネルの周りのボーダーの柄はそれぞれの氏族によって異なります。今では上辺、下辺共にフリンジを残しサイズも元々の物より大きめに織られ、敷いて使うようになっています。

ダスタルハーン:

 テーブルの代わりにこのダスタルハーン(食卓布)を使って食事をします。細長い形をしたのが多いですが、サイズ形は様々です。左からバルーチ、パシュトゥーン、マルダリーのダスタルハーンです。

その他:

 上で紹介した物の他にも沢山あるのですが、その中で幾つか紹介します。
 最初の写真はヨムート族のもので、アスマリクと云って普通ペアで作られラクダとか馬の飾りに使われます。
 次の写真はズィーニアスプと云って馬の鞍の上に敷いて使う物です。
 三枚目の写真はガンダルバンデ・ショトルというラクダの首飾りでバルーチの物です。
 四枚目は毛織物ではないのですがシルクの刺繍の入ったトルクメンの帯でラクダの足に巻く物だそうです。
 最後の写真はラクダの頭に被せる飾りです。

今のアフガン絨毯とキリム:

 ロシア革命以後ボルシェビキによる圧政からアフガニスタンに逃れたトルクメン人が生活のための換金物として絨毯を織り始めたことでアフガニスタンの絨毯産業は発展していきました。その後バルーチ絨毯とともにアフガンのトルクメン絨毯はアフガン絨毯として知られるようになっていきましたが共産主義者によるクーデター後の王制の廃止、それに続く内戦、ロシア軍の侵攻そしてムジャヒディン、タリバーンによる再度の内戦により事実上アフアがニスタン国内での絨毯産業は停止してしまいます。しかしパキスタン、イランへと難民として逃れた人達はそれらの国で絨毯を織り続けます。
 幾つもの小さな工房ができ、絨毯商の多くもパキスタン、イランの各地で店を開き古い絨毯や新しく織られた絨毯を売り始めます。各国の絨毯商もアフガン絨毯を求めパキスタンのぺシャワールやクエッタなどの都市を訪れるようになりました。
 当初新しい絨毯は良質のウールが手に入りにくかったためにパキスタン産の粗悪ウールを使いアフガンの伝統柄を織っていましたが、母国での内戦の激化とともにぺシャワールなどアフガンとの国境近くの街に集まる外国人相手に写真のような戦車や地雷、カラシニコフなどをモチーフとして織り込んだ絨毯なども織り始めます。
 欧米から絨毯商が沢山くるようになると彼らの需要にあわせて、織られる絨毯の柄も大きく変わっていきました。ぺルシャ絨毯のような細かめの柄やコーカサス辺りの柄を織る工房が増えアフガンの伝統柄が織られる頻度が減少していきます。
 タリバーンの頃になるとアフガン産のウールも比較的楽に手に入るようになり、やはり外国の絨毯バイヤーの要求によるためか草木染めのウールを使った絨毯の需要が高まり、柄もギャッベのコピーやスマック織りの物などがはやっていきました。
 タリバーン政権崩壊後は多くの絨毯商がアフガンへ戻りカーブルなどで店を開き始めたのですが、お客が旅行者ではなく多国籍軍の兵士やジャーナリスト、NGOなどの職員が多く価格の設定もかなり高くしています。
 最近ではアフガンのウールで草木染め、アフガンの伝統的な柄を織る工房も増えつつあります。私としては内戦前のような質のいいアフガン絨毯が沢山織られる事を望みますが、これからどうなるのでしょうか?